最後の最後は精神論になってしまうか?
スポーツから学ぶことは多いです。
特にこの年齢、現役選手ではない年齢になった今は、監督やコーチの振る舞い、考え方から学べるようになりました。
現役選手と同じ年代の頃は理解できませんでした。
現役選手と同じ年代でとにかく影響を受けたのはイチロー選手。彼の言葉を綴った三冊は20代後半の私のバイブルでした。
現在は特にプロ野球の監督の言動や振る舞い、コーチングの本を読むことが多くなりました。
共通するのは信念と覚悟。
ワールドカップ。
毎度毎度のことですが、期待の表れで代表監督の評価は毎試合変わります。
批判されている状態の監督の言動、立ち振る舞いを観察します。結果を残す方は表向き、気にしているそぶりは見せないような気がします。
本音は分かりません。なんとなく想像はつきますが、あくまでも想像でしかないので。
PK。
PKは技術かメンタルか。このタイミングですから様々な意見がありましたね。
練習なのか、強い精神なのか。
昔、昔、PKを蹴ったことがあります。
大事な場面でした。4番手でした。
これまで味方も対戦相手も外してません。
蹴りたくなかったです。
外して、チームメイトは慰めてくれるだろうし、でもそれが何より辛い。
なので入っても、入らなくても、その時できる自分の最高速、最適なコースに思いっきり蹴ってやろうと。
試合中に利き腕は確認して、右手、だったので、左下に低空の速いボールをアウトサイドにひっかける形で蹴りました。
飛んでいったのはど真ん中でした。ちょうど利き足(右)側に、野球で言うとシュート回転気味に落ちるボールです。
キーパーは右に飛んでました。よってギリギリ足に当たらず、ボールは無事入りました。が。
いつもならば左下に蹴れるはずなのにど真ん中です。
そこに蹴ることくらいできるのに、その時はできませんでした。
今でも技術の問題か、精神的な問題か分かりません。
教育において、精神論は古臭い、と認識されがちです。
僕もあまり好ましいとは思いません。
ただ、あの時、自分のメンタルが強ければ、左下に蹴れたと今も思っています。
気持ち、勇気は技術をアウトプットするための土台である、そう思ってます。
健全な精神な上には、高い技術を身につける可能性がある、と思っています。
熱意とか、勇気とか、やればできるとか、なかなか根拠を示すことは難しいですが、
強いメンタル=信念と覚悟は遠くに行くには必須だなと考えています。
ワールドカップのPKとは状況が違いますので、関係はありません。
ワールドカップのPKといえば、
ロベルト・バッジョ
「PKを外すことができるのは、PKを蹴る勇気を持った者だけだ」
信念・覚悟は困難なステージを提供してくれます。
失敗することいっぱい。私は成功したことないです。
いつも失敗。多分、成功しないまま終わるんだろうなと思います。
でもやっぱりPKで候補者募られたら手を挙げると思います。
足震わしながら。顔面蒼白で。
理由は前に進みたいから。
やっぱり最後は精神論なんだと思います。
精神論まで辿り着かなきゃダメなんだと思います。
ただし、個の人生において。
第三者に精神論はマズいです。